出口王仁三郎の楽焼きみろくの世界

出口王仁三郎は新宗教の【大本】の二大教祖の1人でした

出口王仁三郎

大本教 開祖 出口なお

写真は( おほもとHPより)お借りしました

詳細

おほもとHP

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https://oomoto.or.jp/wp/kyouso/

出口王仁三郎は、明治4年に京都府亀岡市で生まれます。

大きな転機が起こったのは、明治31年。

27歳の時に、郷里の霊山、高熊山に1週間こもり断食修行をして、霊界の秘奥を極められ霊能力を体得。その時に、自ら救世の使命があることを自覚したのだそうです。

そして、(西北の方角に行け!)との神示をうけ、京都府にいた大本開祖、出口なおさんのもとを訪ねます。

出口なおは、53歳の時に夫が亡くなりますがその後、明治25年2月に突然神がかりにあいます。

その時、なおさんに降りたのが、

【艮の金神】うしとらのこんじん

こう告げられます

われは三千世界をたてかえ立て直すぞ

世界をひとつにして

末代まで続く神国の世にする】

艮の金神からお告げを受けたなおさんは、理想世界の実現に向かって、【大本】を開祖し布教を始めていました。

こうして自らの使命に目覚めていた、なおの元に、王仁三郎(当時は 喜三郎)は明治32年から力を合わせて神業をされ、なおの娘である澄子と結婚。この時から出口王仁三郎と名乗ります。

大正7年、なおが没したのちは、大本の聖師としてご尽力なさいます。

そして大正10年。霊界物語という聖典を描き始められます。この霊界物語は、王仁三郎の遺言、最後の審判書とも言われ、これからこの世におこる大変化とその先の世界が記されていました。地上天国と言われる弥勒の世の到来を告げている予言書。王仁三郎は、全81巻83冊で霊界物語を書くのを終えてています。これは原稿用紙5万枚にも及ぶ量で、3日で1冊というハイペースで書かれていたようです。予定では120巻ほど記される予定だったそうです。

なおに神がかりした艮の金神は王仁三郎の審神によって天地を創造した元の神である国祖、国常立尊。王仁三郎に降りたのはその妻神である坤(ひつじさる)の金神という女の神だと言われています。

王仁三郎は、全ての宗教は同じ根を持つという万教同根を唱えて、世界人類の和合を強く望んでいました。

霊界物語のように言葉として残すことで、見解の違いが生まれ、また新たな争いになっていったことからも、霊界物語に記すのを終えらたのだと言われています。

言葉は難しいですよね。

その言葉ひとつでも、捉え方、解釈の仕方、考え方の違いは人それぞれで、新たな分離をうんでしまうという事もあります。

時に言葉は、刃にもなってしまうものですね。

晩年王仁三郎は、3000個とも言われている、楽焼茶わん作成に没頭されました。

言葉で記すのではなく、この耀わんの中に情報を入れたられたと言われています。

先日私が7月に豊橋で参加した、山口隆之先生のお話し会ではこの王仁三郎の耀わんに直接触れる事ができました。素晴らしかったです!

写真は、その時撮影した耀わんです

美しいですよね

この耀わんは 向かって

左が 月光

右が 十和田 と名付けられています

耀わんの表には数千個の穴があけられていますが、ひとつの穴ごとに王仁三郎は、祝詞を唱えながら情報をインストールしたと言われています。

そしてこの耀わんにお水をいれるとそのお水に王仁三郎からの情報が転写され、このお水飲んだ人は、使命へ導かれると言われています。

おほもと HP YouTube
出口王仁三郎 耀わんの歴史背景について

今日は出口王仁三郎さんについて、耀わんについて書きました。

私も2022年まで、王仁三郎さんとは無縁の世界にいました。

関わる方を通して、この耀わんのお水をわけて頂き、飲んでいたところ7月に実際に山口先生にお会いする機会に繋がり、耀わんでお水を飲む事ができたのです。

次のブログに続きます…

参考文献: 出口王仁三郎の遺言 著 櫻井喜美夫

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